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セニョールの独り言


ぶらり、トルコ行(2024年11月)

トルコを一言で云うと、ヘレニズム以上に東西文明・文化が融合した国と云えるでしょう。

石器時代は別として、BC16世紀~の初めて鉄器を使用したヒッタイト時代、BC11世紀~のエーゲ海沿いのエフェソスなどの古代ギリシャ時代、BC6世紀~のペルシャ帝国時代、BC4世紀~のアレクサンドロス大王の当方遠征によるヘレニズム時代、BC1世紀~の古代ローマ時代、AC4世紀~のビザンツ帝国時代(東ローマ帝国時代)、AC11世紀~のセルジューク・トルコ時代(イスラム)、14世紀~20世紀のオスマン帝国時代(イスラム)、その間にシルクロード交易もあり正に文明・文化の十字路である。

それらの文明・文化を断片的ではありますが紹介しましょう。

 

【ヘレニズム】

ギリシャ・マケドニアのアレクサンドロス大王が東方遠征に乗り出し、ペルシャ、インド、エジプトなどを征服したことにより古代ギリシャ文明・文化とオリエント文明・文化が融合した文明・文化が生まれた(近年は異論もある)

《イスタンブール(コンスタンティノーブル)

東西文明の接点であるイスタンブールは正に”ヨーロッパとアジアの架け橋”であり、ボスポラス海峡によってヨーロッパ側とアジア側に分かれている。

AC4世紀に古代ローマ帝国が東西に分裂しコンスタンティヌス1世がこの地を東ローマ帝国の都にして以来、14世紀以降のオスマン帝国時代も栄え、20世紀前半まで都であった。

共和制になった現在、首都はアンカラだがイスタンブールは1600万人のトルコ最大の都市である。

アヤソフィア博物館

アヤソフィア

聖母子のモザイク画


アヤソフィアはコンスタンティヌス1世・同2世により”ギリシャ正教の大聖堂”として建設されAC360年に完成したが反乱などで2度消失、現在のものは537年に修復されたものである。

1453年からのオスマン帝国時代にはミナレットが加えられイスラム教のモスクとして使用された。

したがってキリスト教とイスラム教の要素が混在している。

中央に丸天井の大ドームとその周りの小ドームを配した建築様式は説教の声がよく通るという事で、イスラム時代に各地のモスクに模倣された。

故にトルコのモスクは大体アヤソフィア的な外観をしており、中東や中央アジアのモスクとは外観を異にしている。

トプカプ宮殿

王の寝室

(宝物館の財宝)

王の寝室の水琴


トプカプ宮殿はオスマン帝国の中心として栄え、特に贅をつくしたハレム(江戸時代の大奥のようなもの)は圧巻である。

王の寝室にはベッドが2台ある。

それは暗殺を避けるため、1台はものを入れて膨らませカモフラージュしたらしい。

また安らかな睡眠を取るために水琴も造られていた。

宝物館には85㌌のダイヤや3個の大きなエメラルドを柄に取り付けた短剣やルビーその他の装飾品が多数展示されている。 

スルタンアフメット・ジャーミー(ブルーモスク)


別名ブルーモスクはアヤソフィアを模倣して造られたモスクなので、中央の大ドームとその周りの小ドームや外観も良く似ている。

6本のミナレットを持つ重厚なその姿は威厳はあるが、”青いモスク”と云われるとちょっとガッカリである。

外壁は石造りで青くなく(ドームが青く見えるが鉛板)、内部も壁の一定高さまではブルータイルが張られているが全面張り詰められていない。

ウズベキスタンのサマルカンドで観たモスクや霊廟は、外壁や内壁が全面ブルータイルで張り詰められているので、それと比較するとちょっと物足りない感じある。〔本頁の「シルクロード紀行・中央アジア編」を参照〕

グランドバザール・市場

グランドバザール

街角の魚屋さん


イスタンブールのグランドバザールをシルクロードの終点とする説もあるが、交易はローマまで繋がっている。

ボスポラス海峡


ボスポラス海峡はイスタンブールをヨーロッパ側とアジア側に分断する海峡で、三つの橋と二つの海底トンネル(鉄道と自動車)で結ばれている。

黒海から地中海に通じる重要な海路であるため、ロシアとオスマン帝国の間で航行権をめぐって争いが続いた。

橋の上ではたくさんの人が釣り糸を下げており、今年はカツオがよく釣れるそうだ。

オリエント急行

プラットホーム

オリエント・エクスプレス・レストラン

リエント・エクスプレス・レストラ

待合室


アガサ・クリスティの「オリエント急行殺人事件」で有名なイスタンブールのシルケジ駅はオリエント・エクスプレスの終着駅だ。

ヨーロッパの王侯貴族や富豪が楽しんだ贅沢列車で、パリーイスタンブール間を1872年から2009年まで運行された。

現在は地下に新駅が出来ているが、当時の駅舎やプラットホームやレストランは保存され、レストランは「オリエント・エクスプレス・レストラン」として現在も営業している。。

《エフェソス》

セルシウス図書館

大劇場

イオニア式柱


エフェソスの遺跡はイタリアのポンペイのように保存状態が良く町全体の様子が伺える。

BC11世紀頃、古代ギリシャのイオニア人が建設したこの古代港湾都市は地中海貿易により発展した。

アルテミスの神殿、聖母マリアの家、世界三大図書館に数えられるセルシウス図書館、25,000人を収容できる大劇場など、古代ギリシャ時代、ヘレニズム時代、古代ローマ時代、初期キリスト教時代の貴重な遺跡が残っている。

ここではドーリア式、イオニア式、コリント式の柱も観ることが出来る。

また古代ローマ時代にはあのクレオパトラとアントニウスが過ごしたこともあるという。

《カッパドキア》

ギョレメの谷

ラクダ岩


岩窟教会のフレスコ画

外敵の侵入を防ぐ地下都市の石戸車

三姉妹の岩

日の出に合わせて気球が飛行


カッパドキアはトルコ中央部のアナトリア高原の火山によってできた凝灰岩の台地である。

凝灰岩は柔らかいので何万年という風雪の浸食によりキノコのような奇岩ができた。

カッパドキアはヒッタイト時代から交易の要衝として栄えていたが、AC2世紀頃からは古代ローマ帝国の迫害から逃れてきた初期キリスト教徒が凝灰岩に洞窟を掘って隠れ住み始めた。

彼らは岩山を掘り地下都市や岩窟教会を造り、外敵から身を護りつつ信仰を守り続けた。

地下都市の中には約2000人が住んだものもあり、教会にはフレスコ画も残っている。

景観的にも珍しいので観光地として人気があるが、その裏には迫害を受けたキリスト教徒の歴史もある。

《ブルサ》

ウルモスク大ドーム

中央の噴水

郊外のジュマルクズック村


ブルサはシルクロード西端の都市として繁栄し、14世紀にオスマン帝国の最初の首都になった。

その後首都はエディルネ、イスタンブールに移されたが帝国にとって重要な都市であった。

この街で最も重要なウルモスクは1399年に建てられ、中央大ドームの下には噴水が設けられた珍しいモスクで、壁面にはコーランの教えがアラビア文字で書かれている。

郊外には700年前のオスマン帝国時代の町並みが残るジュマルクズック村がある。

《コンヤ》

メヴラーナ博物館

メヴラーナ・ジェラールッディン・ルーミーの霊廟


コンヤは11世紀にセルジューク朝が首都をイズニックから移した後、13世紀に最も繫栄した。

コンヤはイスラム神秘主義の一派メヴレヴィー教団の発祥地でもあり、スカートをはいた信者がクルクル回って神と一体になる旋舞が知られている。

メヴラーナ博物館には教団の創始者メヴラーナ・ジェラールッディン・ルーミーの霊廟もある。

《パムッカレ》

鍾乳石の台地

ヒエラポリス

足湯

円形劇場


パムッカレには鍾乳石でできた真っ白なプールが棚上に何層にも広がっている台地がある。

大地から湧き出した炭酸カルシウムの温泉が独特の乳白色の棚を作り出している。

溝に温泉が流れているので日本人は”足湯”を楽しんでいた。

台地の上にはローマ時代のヒエラポリス遺跡があり、神殿、浴場、列柱、円形劇場などが保存状態も良く残っている。

トウズ湖(塩湖)

トルコにも塩湖があります。

トウズ湖には水の出入り口が無く、平均水深は50cmと浅いため、夏には湖水が蒸発して厚さ30cmくらいの塩の層が出来る。

塩分濃度は死海についで2番目に濃く、トルコで消費される塩の70%を供給している。

またフラミンゴの生息地としても有名である。

《トルコ、あれこれ》

食べ物・お酒

トルコ料理は中国料理・フランス料理と並んで世界の三大料理と云われている。

楽しみにしていたが肉・魚のメイン・ディッシュらしいものが無く、B級グルメが多かった。

しかも特別に美味しくもないのでちょっとガッカリした。

有名なケバブもそいだ肉をビフテキ風に食べるのではなく、パンに挟んで食べるのでファーストフードだ。

珍しいモノでは、鉄板でオイル焼きしたサバをパンに挟んで食べるサバサンドがある。

東西の料理が入り混ざって料理数が多いことで三大料理の一つになったのかなと思います。

 

地酒ではラクウ(43)という水で割ると白く変色するブドウから造った焼酎のようなお酒がある。

楽しみにしていたが、アニスのイヤな甘みがあり私には合わなかった。

 

宗 教

人口の99%はイスラム教徒だが、わずかにユダヤ教やアルメニア使徒教会の信者もいる。

しかしイスラム教を国教とせず政教分離政策をとっている。

お酒は何でもあり自由に飲めるが、たまに飲酒禁止というレストランがあった。

エイワンアラー

この言葉はトルコ語で「どうもありがとう」を意味します。

町で日本語を少し話せる青年と交流を持った時、「ありがとう」はトルコ語でどう云うのかと尋ねました。

一般的な言い方で「テシェッキュル エデリム」を教えてくれました。

何度も云おうとしますが発音が難しくて中々云えません。

すると「胸に手を当てて『エイワンアラー』と云いなさい」と教えてくれました。

これは云いやすいのでその後お世話になったとき、胸に手を当てて「エイワンアラー」と云いました。

すると相手は一瞬ジーッと私を見つめ、次の瞬間「オー、オー、オー」と感動してハグをしたり肩をたたいて親近感を表しました。

ちょっと不思議に思い現地ガイドにどういうニュアンスなのか尋ねました。

いわく、「謝意を表す丁寧な言葉で『どうもありがとう』という意に加えて『神のご加護がありますように』という宗教的な意味も含まれる」ということでした。

それで納得、イスラム教徒でない日本人が「イスラム的ありがとう」と云ったので相手もビックリし、喜んだのでしょう。

 対日印象

明治期にトルコの軍艦が日本に来訪し帰路、和歌山県沖で台風に遭い沈没するという事故がありました。

この時串本の漁民が遭難者を救助・介抱し、カンパを募り本国に送り返しました。

トルコでは最近までこの事が小学校の教科書に掲載されており、日本に対して恩義を感じて親日家が多いです。

ショッピング施設は勿論、町中でも日本語を話す人をよく見かけます。

アイスクリーム

トルコには粘りの強いアイスクリームがあり、町角の屋台で売っています。

この売り方が面白く、カップに入れたアイスをヘラにくっ付けて渡しますが、カップを受け取るとアイスがヘラにくっ付いて抜けて受取れないのです。

こういう所作を何度も繰り返し、しばらくカラカッてから渡します。

文章ではこの面白さをとても表現できないので、気になる方はyoutubeで見てください。