What's New(2021年12月16日更新)


セニョールの独り言


2023年

 

ぶらり、今年も地芝居  

6千両後日之文章

6千両後日之文章


昨年は下條村に伝わる”下條こども歌舞伎”を観ましたが、今年は大鹿村に300年以上伝承されてきた”大鹿歌舞伎”を観にいきました。

長野県ではあちこちの農村に地芝居が伝わっていますが、中でもこの大鹿歌舞伎は国の”重要無形民俗文化財”に指定されています。

春秋年2回の公演は、本来は神社の境内に舞台があり野外で上演されますが今回は雨のため体育館で開催されました。

席は先着順なので12時開演ですが朝8時から座布団を持って並び場所取りをしました。

演目は”6千両後日之文章”(平家滅亡の後日談)と”傾城阿波鳴門”(トトさんの名は・・・、カカさんの名は・・・)でした。

無形文化財に指定されているだけあって演技もシッカリしていて見ごたえがありました。

 

傾城阿波鳴門

傾城阿波鳴門


大鹿村は1,000人に満たない小さな村ですが、村の楽しみ・村の宝として村人が一丸となって伝承してきたのでしょう。

演技者は勿論、義太夫・黒子・大道具・小道具・衣装係などすべて村人の手作りで構成されています。

地芝居には思い思いの掛け声とおひねりが投げられる独特の雰囲気があり、プロの歌舞伎とは違った面白さがあります。


ぶらり、北海道

 

広大な大地

ウニを獲る漁師


6月に北海道を20日間、旅してきました。

北海道は学生時代(56年前)に40日間、放浪したことがあります。

当時の学生はテントやシュラフをリュックに入れ、野宿しながら貧乏旅行をしていました。。

最近のリュックは縦長ですが、昔は両サイドに大きなポケットが付いていたので横長で、列車内の通路を横歩きしないと通れませんでした。

それゆえ「カニ族」と呼ばれていました。

今回は車なので、新潟から小樽にフェリーで行きました。

 

 

現在の昭和新山

半世紀前の昭和新山


半世紀も経つと自然も大きく変わるものです。

一番驚いたのは、“昭和新山”が頭部だけ火山性岩山で中腹まで樹木で覆われていたことです。

この山は昭和18年(1943年)に火山活動により麦畑が隆起してできた山です。

前回訪れたときは裾野から火山性岩山で硫黄の噴煙があちこちで立ち上っていました。

当時は規制もなかったので山頂まで登りましたが、地熱でクツ底が熱くなったのを覚えています。

 

富良野の麦畑

美瑛の青い池


また、当時はあまり脚光を浴びていなかった“富良野”や“知床半島”は今や一番の観光スポットになっています。

さすがに富良野の広大な“麦畑の丘陵”や美瑛の“青い池”は絶景です。

また、知床のオシンコシンの滝も面白い滝です。

知床のオシンコシンの滝

知床半島


旅行中天気が悪く海岸線では濃霧に包まれ、宗谷岬・納沙布岬・襟裳岬・神威岬などでは何も見えませんでした。

“北海道には梅雨が無い”と言われますが、晴れたのは6日だけでした。

これからは6月の北海道は梅雨と思って旅した方がよいと思います。

襟裳岬

エゾカンゾウ(信州のニッコウキスゲと同種)


“大自然”観光だけでは物足りないので、今回はアイヌ民族の遺跡や戊辰戦争の爪跡も探索しました。

日本史の中でアイヌ民族の歴史はほとんど出てきませんが、部族間の利害をめぐり争いも多々あったハズです。

500くらいあると言われるチャシ(砦)を今回その一部ですが観て回りました。

多くは要害堅固な岬に造られていますが、今は土塁と空堀が残っている程度であまり整備されていません。

阿寒湖と白老では古式舞踊を観ましたが、部族によって踊り方も違うでしょうがそこまでは見抜けませんでした。

アイヌ民族降臨伝説のある“二風谷”コタンには大きな集落が復元されています。

 

納沙布岬のチャシ(砦)

二風谷コタン

チャシの土塁・空堀

阿寒湖のコタン


また、“五稜郭”をはじめ、蝦夷地支配を任された松前城や江差で座礁・沈没した“開陽丸”(復元)なども観ました。

開陽丸は幕府がオランダに発注して造らせた軍艦で、その操縦方法を習得するために榎本武揚ら15名がオランダに派遣されました。

戊辰戦争では榎本が幕府軍の軍艦として指揮しました。

土方歳三はかっこよく討ち死にしましたが、榎本は留学し国際法や西欧文化に見識を深めただけあって、生き延びたのちに明治政府に召喚され外務大臣など要職を務め、また東京農大の創設者でもあります。

北海道の街では、函館・小樽・松前・江差が歴史があり面白いです。

函館・五稜郭

函館・レンガ造りの倉庫群

軍艦・開陽丸の大砲

江差・豪商の家

蝦夷地支配の松前城

函館・ハリストス正教会(ロシア正教会)

江差・開陽丸(復元)

江差・街並み

松前・松前城城門


今回の旅で一番強く感じたことは、アイヌの歴史・文化や和人がいかに搾取し抑圧してきたかなどを日本史の中で取り上げるべきだということです。

また、50年の年月は自然をも大きく変えるということです。

50年先には”昭和新山”は全山緑に覆われて普通の小山になり、”青い池”の枯れた立木は朽ちて無くなり、観光スポットでなくなるかも知れません。

【注意事項】

鹿の親子


鹿が突然道路に飛び出してきます。

セニョールは2度ぶつかりそうになりました。

北海道は道路幅も広く直線なのでついついスピードを出しがちですが、要注意です。


2022年 ぶらり、ついでに温泉旅

コロナ禍で海外に行けないセニョールは、地方の芸能・文化を楽しんでいます。

《長野県 地獄谷温泉》



3月に渋温泉に行きました。

温泉から30分山を登ると地獄谷温泉があります。

ここには猿の温泉入浴で有名な野猿公苑があり、猿が気持ちよさそうに温泉に浸かっています。

猿にも温泉好きと温泉嫌いがあるようです。

《新潟県 海鮮料理と五頭温泉郷》

瓢湖

豪農の館


6月に毎年行く新潟の海鮮料理を食べに行きました。

”新潟市中央卸売市場”内の何でもない食堂ですが、マグロ、ブリ、ノドグロ、サバ、アジなど日本海の鮮魚をふんだんに食べさせてくれます。

近くに冬白鳥が飛来することで有名な瓢湖があります。

白鳥もシベリアまで帰るのが大変なのでしょう、一部は住み着いていました。

またとんでもない豪農の館がありました。

ここでは五頭温泉郷に泊まりましたが、露天風呂が森林浴も楽しめて二重の心地良さに浸かってきました。

 

 

《長野県 渋温泉 金具屋》

金具屋

廊下


渋温泉には木造4階建てで贅を尽くした「金具屋」という温泉旅館があります。

創業260年のこの旅館は昭和初期に6代目が日本建築の粋を追求して今日の建物に改築したもので、国の登録有形文化財に認定されています。

館内にはそれぞれ趣の異なる八つの温泉があり、また贅を尽くした建築様式も楽しめます。

 中々予約が取れませんが、運よく9月に予約が取れたので行って来ました。

料理は普通ですが、一度は泊まってみたい宿です。

《能登 演劇・太鼓と和倉温泉》

無芸塾


10月に能登半島に行ってきました。

能登・七尾市には舞台のバックの壁が開き、外の自然を取り込んだ空間演出の出来る”能登演劇堂”があります。

この演劇堂は仲代達也が監修しており、彼が率いる”無名塾”の定期公演が毎年開催されています。

今回は「いのちぼうにふろう物語」を観ました。

演劇はちょっと物足りなさを感じましたが、海を一望できる和倉温泉に浸かり、友人夫婦と楽しい酒を飲みました。

ついでに輪島にも1泊し”御陣乗太鼓”を観ましたが、これは迫力のある演武太鼓で十分満足しました。

約20分の演武を動画に収めてきましたのでご希望の方にはお見せします。

《長野県 こども歌舞伎と下條温泉》

寿曽我の対面

白波五人男


長野県南部の下條村には300年の伝統を誇る農村歌舞伎(地歌舞伎)が残っています。

昔の長野県は中山道の沿道以外は陸の孤島ですから、上方や江戸には中々出向けないので自分たちで歌舞伎を演じて楽しんでいたのでしょう。

保存会があり、こども歌舞伎に力を入れています。

見得を切るたびに小銭を包んだ”おひねり”を投げる風景は地芝居ならではの趣です。

温泉もたくさんあり、泊まった宿の露天風呂は自然豊かな雰囲気で寛げました。

余談ですが、下條村は”峰隆太”の出身地でもあります。