セニョールの独り言
2023年
平和とは・・・
毎年どこからかジョウビタキが飛んで来て、庭の樹に巣を作り、子育てをして、どこかに飛んで行きます。
今年も育ったヒナが庭を飛び回り、遊んでいます。
人懐っこい小鳥で、人間をあまり怖がらず、1メートルくらいまで寄ってきます。
ウクライナでは小鳥が遊んでいるでしょうか・・・
ぶらり、北海道
広大な大地
ウニを獲る漁師
6月に北海道を20日間、旅してきました。
北海道は学生時代(56年前)に40日間、放浪したことがあります。
当時の学生はテントやシュラフをリュックに入れ、野宿しながら貧乏旅行をしていました。。
最近のリュックは縦長ですが、昔は両サイドに大きなポケットが付いていたので横長で、列車内の通路を横歩きしないと通れませんでした。
それゆえ「カニ族」と呼ばれていました。
今回は車なので、新潟から小樽にフェリーで行きました。
現在の昭和新山
半世紀前の昭和新山
半世紀も経つと自然も大きく変わるものです。
一番驚いたのは、“昭和新山”が頭部だけ火山性岩山で中腹まで樹木で覆われていたことです。
この山は昭和18年(1943年)に火山活動により麦畑が隆起してできた山です。
前回訪れたときは裾野から火山性岩山で硫黄の噴煙があちこちで立ち上っていました。
当時は規制もなかったので山頂まで登りましたが、地熱でクツ底が熱くなったのを覚えています。
富良野の麦畑
美瑛の青い池
また、当時はあまり脚光を浴びていなかった“富良野”や“知床半島”は今や一番の観光スポットになっています。
さすがに富良野の広大な“麦畑の丘陵”や美瑛の“青い池”は絶景です。
また、知床のオシンコシンの滝も面白い滝です。
知床のオシンコシンの滝
知床半島
旅行中天気が悪く海岸線では濃霧に包まれ、宗谷岬・納沙布岬・襟裳岬・神威岬などでは何も見えませんでした。
“北海道には梅雨が無い”と言われますが、晴れたのは6日だけでした。
これからは6月の北海道は梅雨と思って旅した方がよいと思います。
襟裳岬
エゾカンゾウ(信州のニッコウキスゲと同種)
“大自然”観光だけでは物足りないので、今回はアイヌ民族の遺跡や戊辰戦争の爪跡も探索しました。
日本史の中でアイヌ民族の歴史はほとんど出てきませんが、部族間の利害をめぐり争いも多々あったハズです。
500くらいあると言われるチャシ(砦)を今回その一部ですが観て回りました。
多くは要害堅固な岬に造られていますが、今は土塁と空堀が残っている程度であまり整備されていません。
阿寒湖と白老では古式舞踊を観ましたが、部族によって踊り方も違うでしょうがそこまでは見抜けませんでした。
アイヌ民族降臨伝説のある“二風谷”コタンには大きな集落が復元されています。
納沙布岬のチャシ(砦)
二風谷コタン
チャシの土塁・空堀
阿寒湖のコタン
また、“五稜郭”をはじめ、蝦夷地支配を任された松前城や江差で座礁・沈没した“開陽丸”(復元)なども観ました。
開陽丸は幕府がオランダに発注して造らせた軍艦で、その操縦方法を習得するために榎本武揚ら15名がオランダに派遣されました。
戊辰戦争では榎本が幕府軍の軍艦として指揮しました。
土方歳三はかっこよく討ち死にしましたが、榎本は留学し国際法や西欧文化に見識を深めただけあって、生き延びたのちに明治政府に召喚され外務大臣など要職を務め、また東京農大の創設者でもあります。
北海道の街では、函館・小樽・松前・江差が歴史があり面白いです。
函館・五稜郭
函館・レンガ造りの倉庫群
軍艦・開陽丸の大砲
江差・豪商の家
蝦夷地支配の松前城
函館・ハリストス正教会(ロシア正教会)
江差・開陽丸(復元)
江差・街並み
松前・松前城城門
今回の旅で一番強く感じたことは、アイヌの歴史・文化や和人がいかに搾取し抑圧してきたかなどを日本史の中で取り上げるべきだということです。
また、50年の年月は自然をも大きく変えるということです。
50年先には”昭和新山”は全山緑に覆われ普通の小山になり、”青い池”の枯れた立木は朽ちて無くなり、観光スポットでなくなるでしょう。
【注意事項】
鹿の親子
鹿が突然道路に飛び出してきます。
セニョールは2度ぶつかりそうになりました。
北海道は道路幅も広く直線なのでついついスピードを出しがちですが、要注意です。
2022年 ぶらり、ついでに温泉旅
コロナ禍で海外に行けないセニョールは、地方の芸能・文化を楽しんでいます。
《長野県 地獄谷温泉》
3月に渋温泉に行きました。
温泉から30分山を登ると地獄谷温泉があります。
ここには猿の温泉入浴で有名な野猿公苑があり、猿が気持ちよさそうに温泉に浸かっています。
猿にも温泉好きと温泉嫌いがあるようです。
《新潟県 海鮮料理と五頭温泉郷》
瓢湖
豪農の館
6月に毎年行く新潟の海鮮料理を食べに行きました。
”新潟市中央卸売市場”内の何でもない食堂ですが、マグロ、ブリ、ノドグロ、サバ、アジなど日本海の鮮魚をふんだんに食べさせてくれます。
近くに冬白鳥が飛来することで有名な瓢湖があります。
白鳥もシベリアまで帰るのが大変なのでしょう、一部は住み着いていました。
またとんでもない豪農の館がありました。
ここでは五頭温泉郷に泊まりましたが、露天風呂が森林浴も楽しめて二重の心地良さに浸かってきました。
《長野県 渋温泉 金具屋》
金具屋
廊下
渋温泉には木造4階建てで贅を尽くした「金具屋」という温泉旅館があります。
創業260年のこの旅館は昭和初期に6代目が日本建築の粋を追求して今日の建物に改築したもので、国の登録有形文化財に認定されています。
館内にはそれぞれ趣の異なる八つの温泉があり、また贅を尽くした建築様式も楽しめます。
中々予約が取れませんが、運よく9月に予約が取れたので行って来ました。
料理は普通ですが、一度は泊まってみたい宿です。
《能登 演劇・太鼓と和倉温泉》
無芸塾
10月に能登半島に行ってきました。
能登・七尾市には舞台のバック壁が開き、外の自然を取り込んだ空間演出の出来る”能登演劇堂”があります。
この演劇堂は仲代達也が監修しており、彼が率いる”無名塾”の定期公演が毎年開催されています。
今回は「いのちぼうにふろう物語」を観ました。
演劇はちょっと物足りなさを感じましたが、海を一望できる和倉温泉に浸かり、友人夫婦と楽しい酒を飲みました。
ついでに輪島にも1泊し”御陣乗太鼓”を観ましたが、これは迫力のある演武太鼓で十分満足しました。
約20分の演武を動画に収めてきましたのでご希望の方にはお見せします。
《長野県 こども歌舞伎と下條温泉》
寿曽我の対面
白波五人男
長野県南部の下條村には300年の伝統を誇る農村歌舞伎(地歌舞伎)が残っています。
昔の長野県は陸の孤島ですから、上方や江戸には中々出向けないので自分たちで歌舞伎を演じて楽しんでいたのでしょう。
保存会があり、こども歌舞伎に力を入れています。
見得を切るたびに小銭を包んだ”おひねり”を投げる風景は地芝居ならではの趣です。
温泉もたくさんあり、泊まった宿の露天風呂は自然豊かな雰囲気で寛げました。
余談ですが、下條村は”峰隆太”の出身地でもあります。
屋久島山行(2020年11月)
(縄文杉)
(宮之浦岳)
今年は海外に行けないので、10月下旬に空気のきれいな九州・屋久島に行き太古の大自然にドップリ浸って来ました。
屋久島は島全体に山々が連なり、〝八重岳”とも、また〝洋上アルプス”とも謂われています。
南国の島なのに山では雪が1mくらい積もります。
最高峰は〝宮之浦岳”(1,936m)で、今回はこの山の登山と〝縄文杉”が目的です。
(巨木の森)
(巨岩の渓谷)
荒川登山口から縄文杉をメインとする古代杉群の原生林を登りました。
登山口から3時間は歩き易いトロッコ道で、安房川をまたぐ木橋からは巨岩がゴロゴロしている谷底が見られます。
そしてヤクザルのお出迎えを受けながら登って行くと、三代杉や仁王杉(樹齢不明)が待ち構えています。
大株歩道からは急な山道になり整備された木階段を、ウィルソン株・大王杉(推定樹齢3000年)・
夫婦杉(推定樹齢1500年)などを見ながら、本命の縄文杉にたどり着きました。
(仁王杉)
(夫婦杉)
推定樹齢7,200年の縄文杉は樹高25.3m、胸高周囲16.4mのズングリとした樹形です。
雨の多い屋久島では古木は苔むし、そこに木の種が落ちると芽が出て根を下ろします。
縄文杉にはツツジ、シャクナゲ、ナナカマドなどが宿り、樹木というよりはもはや大地そのものです。
ゴツゴツとコブのある幹を見ると7000年の風雪に耐えて生き延びてきた永遠の生命力を感じます。
そこで知人も含めて、健康と長寿の祈願をしました。
この日は縄文杉から10分離れた高塚小屋に泊まりました。
屋久島の山小屋は全て無人の避難小屋で営業はしておらず、食事も自分で作り、寝袋持参でゴロ寝です。
縄文杉までであれば往復9時間くらいなので日帰りトレッキングが可能です。
大部分の旅行者はこのトレッキングを楽しんでいます。
が、縦走や宮之浦岳に登れば山中で2泊はしなければなりません。
(永田岳)
(翁岳)
2日目高塚小屋からアップダウンの登山道を山頂に向かいました。
新高塚小屋の水場近くではヤクジカも水を飲んでいました。
標高1600mくらいまではスギ、ツガ、モミなどの原生林ですが、それから上はササやシャクナゲなど低植物に変わるので見晴しが良くなりました。
登りながら永田岳や翁岳などの岩峰を楽しみました。
この山々は1500万年前に花崗岩が隆起してできたそうで巨岩がゴロゴロあります。
登山道は整備された木階段の所もありますが、雨で掘れて排水路の様になった所もあるので、雨の日は注意が必要です。
(巨岩群)
山頂(1,936m)には5時間(標準時間)で登りパノラマを楽しみました。
1900mの高さから見る水平線が自分の目の高さに見え、驚きました。
それだけ空気が澄んでいて、遠くまで見えるという事です。
同じルートを引き返しましたが、膝を庇いながらの下山ですので登りと同じくらいかかりました。
高塚小屋に帰り、呑んだコーヒーが美味く2杯ガブ飲みをしました。
3日目は白谷雲水峡に回る予定でしたが、膝の調子がおもわしくないので無理せずトロッコ道を下りました。
翌日はヤクスギランドを歩きましたが、こちらはガイドなしでも気軽に古代杉群を見られます。
屋久島がこれほど山深い島とは思っていなかったので、登りごたえ、見ごたえのある良い山行でした。
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この山行でちょっと驚いたのは、トレッキング客や登山客のほとんどがガイドを連れているという事でした。
外国の山と違い日本では中々ガイド業が成立しないのに、この島では立派に生業になっています。
世界遺産になり山慣れない観光客が増えたため、深い山のトレッキングや登山にはガイドが必要という事でしょう。
(ヤクスギランド-仏陀杉・推定樹齢1800年)
(水の森)
【 トイレ事情 】
屋久島の山行はトイレが少ないので大変という情報に接しますが、避難小屋や登山ルートなど要所要所にトイレが、また携帯トイレ用のブース(テントや木造ブース)があります。
トップシーズンは順番待ちになるのでブースで使える携帯トイレを持参した方が良いでしょうが、オフシーズンは人が少ないので問題ありません。
【 食べ物 】
鮮度がよいので魚は何でも美味しいですが、特に〝ゴマサバ”の刺身は関サバに匹敵する美味しさで、また〝トビウオのから揚げ”も美味しかったです。
スーパーで売っている〝握り寿司”も本マグロの大トロがあり、ネタが厚く、お寿司屋さん顔負けのモノをお安く陳列していました。
その他、カツオの味噌漬け生節やサバの生節も美味しく、お土産に買って帰りました。
【 お酒 】
黒麹造りの芋焼酎で、〝三岳”と〝水の森”が気に入りました。
【 生活風景 】
泊まった宿のオカミさんやスタッフは裸足で廊下を動き回っていました。
お客さん用のスリッパはありますが、彼らは素足です。
やはり南国です。