セニョールの独り言
2024年
ぶらり、モンゴル
大草原のヒツジ・ヤギ
ウランバートルの高層マンション群
新型コロナにより海外旅行を中断していましたが、少し下火になってきましたので5月にモンゴルに行ってきました。
モンゴルを一言で云うと、大草原とゴビ砂漠(国土の25%)以外は何もないという大自然のままの国です。
日本の4倍の国土に、総人口は約350万人ですから人口密度は非常に低いです。
その大自然の中で首都ウランバートルだけが東京のような大都会で高層ビルが立ち並び、総人口の約半分(160万人)が集中するという特殊な構造を持っています。
郊外の住居区には貧民層の固定住宅やゲルが混在し、一方、市の南側には高層マンションが林立し高級住宅街化しています。
近代化の中で遊牧民は減少してゆき、現在33万人位いとの事です。
遊牧民はヒツジ・ヤギ・馬・牛・ラクダの5種類の家畜を放牧し、大草原を移動しています。
草原があまりに広大なので、バスで移動していても遊牧民やゲルや家畜を見かけるのは時々です。
(正確な統計資料が無く、数字は資料によって多少異なる)
チンギス・ハーンの騎馬像(高さ40m)
エルデニ・ゾー寺院
帝都カラコルムのエルデニ・ゾー寺院
エルデニ・ゾー寺院
歴史的に移動民族なので固定建造物を重要視しないのか、13世紀、チンギス・ハーンが築いた“大モンゴル帝国”時代の宮殿・城塞・街並みなどの遺跡は見られませんでした(或いはまだ地中に眠っているのか)。
わずかに帝都カラコルムに広大なエルデニ・ゾー寺院が残っており当時の繁栄をしのばせます。
面白いことにガイドブックに“固定寺院”という記述がありました。
と云うことは、逆に“移動寺院”というものがあったのでしょうか。
エルデニ・ゾー寺院は固定寺院で、遊牧民の移動に伴ってゲルのような移動寺院があったのかも知れません(これは私見)。
チンギス・ハーンの騎馬像は、ウランバートルから東に54kmの草原の真っただ中にあります。
彼の鞭が発見された場所らしく、高さ12mの建物(博物館)を台座に高さ40mの騎馬像がそびえ立っています。
やはり彼はモンゴルの英雄であり、モンゴル人の誇りになっています。
ウランバートルのガンダン寺
アリアバル寺院の仏像
ガンダン寺の開眼観音立像(高さ26.5m)
アリアバル寺院のマニ車
因みに、モンゴルはチベット仏教なので寺院には“五体投地”の場所や“マニ車”があります。
熱心な信者の五体投地を見ましたが、両手を合掌して頭上に高く上げ、その手を額の前に下して祈り、更に胸の前に下して祈り、それから身体を前に投げ出してうつ伏せになります。
正式にはこれを108回するそうですが、49回でも良いそうです(仏法の数字)。
また、日本と同じ大乗仏教なので阿弥陀如来・薬師如来・観音菩薩・弥勒菩薩像なども鎮座しています。
モウコノウマ(野生馬:タヒ)
モウコガゼル
ホスタイ国立公園は野生動物の保護区になっており、モウコノウマ、モウコガゼル、シベリアマーモット、コサックギツネなどが生息しています。
中でもモウコノウマはモンゴル語でタヒと呼ばれ、一度絶滅したがその子孫の一部を再野生化した珍しい馬です。
モンゴル文字(左から書く)
モンゴル文字の書道
モンゴル文字はチンギス・ハーン時代にウイグル文字を参考に作られた縦文字ですが、社会主義時代にソ連の影響を強く受け廃止されロシア語のアルファベットであるキリル文字(横文字)が使用されました。
民主化された現在ではモンゴル文字の使用復活が提唱されていますが、街中の看板などは依然としてキリル文字で表記されています。
やはりキリル文字の方が覚えやすく、書きやすいのでしょう。
面白いのはキリル文字の「P」は英語の「R」発音になるので、例えば日本の「カラオケ」の看板を「KAPAOKE」と表記しています。
ホルホグ
ホーショール
モンゴル料理は羊肉と小麦粉を使った料理が多いですが、骨付きの羊肉をジャガイモやニンジンとじっくりと煮込んだホルホグは塩味だけですが大変美味しかったです。
またギョーザをデッカクしたような小麦粉料理:ホーショールやその他の伝統料理も美味しいかったです。
モンゴルの土は水分が少なく、野菜はできないので中国から輸入しています。
ゲルのツーリストキャンプ
ゲルの内部
草原を走っていると観光客用にゲルのツーリストキャンプがあります。
2本の柱だけで屋根を支えていますので中は意外と広いです。
写真は旅行者用のゲルなのでベッド・テーブル・薪ストーブだけですが、実際のゲルは正面は主人、左側はお客様、右側は奥さんと決まっており炊事道具は右側に置いてあります。
モンゴルの夕焼け
【完】
2023年
ぶらり、今年も地芝居
6千両後日之文章
6千両後日之文章
昨年は下條村に伝わる”下條こども歌舞伎”を観ましたが、今年は大鹿村に300年以上伝承されてきた”大鹿歌舞伎”を観にいきました。
長野県ではあちこちの農村に地芝居が伝わっていますが、中でもこの大鹿歌舞伎は国の”重要無形民俗文化財”に指定されています。
春秋年2回の公演は、本来は神社の境内に舞台があり野外で上演されますが、今回は雨のため体育館で開催されました。
席は先着順なので12時開演ですが朝8時から座布団を持って並び場所取りをしました。
演目は”6千両後日之文章”(平家滅亡の後日談)と”傾城阿波鳴門”(トトさんの名は・・・、カカさんの名は・・・)でした。
無形文化財に指定されているだけあって演技もシッカリしていて見ごたえがありました。
傾城阿波鳴門
傾城阿波鳴門
大鹿村は1,000人に満たない小さな村ですが、村の楽しみ・村の宝として村人が一丸となって伝承してきたのでしょう。
演技者は勿論、義太夫・黒子・大道具・小道具・衣装係などすべて村人の手作りで構成されています。
地芝居には思い思いの掛け声とおひねりが投げられる独特の雰囲気があり、プロの歌舞伎とは違った面白さがあります。
ぶらり、北海道
広大な大地
ウニを獲る漁師
6月に北海道を20日間、旅してきました。
北海道は学生時代(56年前)に40日間、放浪したことがあります。
当時の学生はテントやシュラフをリュックに入れ、野宿しながら貧乏旅行をしていました。。
最近のリュックは縦長ですが、昔は両サイドに大きなポケットが付いていたので横長で、列車内の通路を横歩きしないと通れませんでした。
それゆえ「カニ族」と呼ばれていました。
今回は車なので、新潟から小樽にフェリーで行きました。
現在の昭和新山
半世紀前の昭和新山
半世紀も経つと自然も大きく変わるものです。
一番驚いたのは、“昭和新山”が頭部だけ火山性岩山で中腹まで樹木で覆われていたことです。
この山は昭和18年(1943年)に火山活動により麦畑が隆起してできた山です。
前回訪れたときは裾野から火山性岩山で硫黄の噴煙があちこちで立ち上っていました。
当時は規制もなかったので山頂まで登りましたが、地熱でクツ底が熱くなったのを覚えています。
富良野の麦畑
美瑛の青い池
また、当時はあまり脚光を浴びていなかった“富良野”や“知床半島”は今や一番の観光スポットになっています。
さすがに富良野の広大な“麦畑の丘陵”や美瑛の“青い池”は絶景です。
また、知床のオシンコシンの滝も面白い滝です。
知床のオシンコシンの滝
知床半島
旅行中天気が悪く海岸線では濃霧に包まれ、宗谷岬・納沙布岬・襟裳岬・神威岬などでは何も見えませんでした。
“北海道には梅雨が無い”と言われますが、晴れたのは6日だけでした。
これからは6月の北海道は梅雨と思って旅した方がよいと思います。
襟裳岬
エゾカンゾウ(信州のニッコウキスゲと同種)
“大自然”観光だけでは物足りないので、今回はアイヌ民族の遺跡や戊辰戦争の爪跡も探索しました。
日本史の中でアイヌ民族の歴史はほとんど出てきませんが、部族間の利害をめぐり争いも多々あったハズです。
500くらいあると言われるチャシ(砦)を今回その一部ですが観て回りました。
多くは要害堅固な岬に造られていますが、今は土塁と空堀が残っている程度であまり整備されていません。
阿寒湖と白老では古式舞踊を観ましたが、部族によって踊り方も違うでしょうがそこまでは見抜けませんでした。
アイヌ民族降臨伝説のある“二風谷”コタンには大きな集落が復元されています。
納沙布岬のチャシ(砦)
二風谷コタン
チャシの土塁・空堀
阿寒湖のコタン
また、“五稜郭”をはじめ、蝦夷地支配を任された松前城や江差で座礁・沈没した“開陽丸”(復元)なども観ました。
開陽丸は幕府がオランダに発注して造らせた軍艦で、その操縦方法を習得するために榎本武揚ら15名がオランダに派遣されました。
戊辰戦争では榎本が幕府軍の軍艦として指揮しました。
土方歳三はかっこよく討ち死にしましたが、榎本は留学し国際法や西欧文化に見識を深めただけあって、生き延びたのちに明治政府に召喚され外務大臣など要職を務め、また東京農大の創設者でもあります。
北海道の街では、函館・小樽・松前・江差が歴史があり面白いです。
函館・五稜郭
函館・レンガ造りの倉庫群
軍艦・開陽丸の大砲
江差・豪商の家
蝦夷地支配の松前城
函館・ハリストス正教会(ロシア正教会)
江差・開陽丸(復元)
江差・街並み
松前・松前城城門
今回の旅で一番強く感じたことは、アイヌの歴史・文化や和人がいかに搾取し抑圧してきたかなどを日本史の中で取り上げるべきだということです。
また、50年の年月は自然をも大きく変えるということです。
50年先には”昭和新山”は全山緑に覆われて普通の小山になり、”青い池”の枯れた立木は朽ちて無くなり、観光スポットでなくなるかも知れません。
【注意事項】
鹿の親子
鹿が突然道路に飛び出してきます。
セニョールは2度ぶつかりそうになりました。
北海道は道路幅も広く直線なのでついついスピードを出しがちですが、要注意です。