南イタリア・シチリア島紀行(その一)
11月に南イタリアを旅してきました。
南イタリアはナポリ以南の、ポンペイ・アマルフィ・アルベロベッロ・マテーラ・シチリア島などをいいます。
地中海の交易と侵略により、古代ギリシャ・カルタゴ(現チュニジア)・古代ローマ・ビザンツ帝国(東ローマ帝国)・イスラム・ノルマン(バイキング)・スペイン・フランスなどの文化がミックスされ陽気な太陽の国のイメージとは別に、緊張感のある歴史を感じさせるエリアです。
【ポンペイ】
ポンペイは45年前に訪れたことがありますが、その後の発掘によりかなり大きな遺跡を見ることが出来ました。
紀元後79年8月のヴェスヴィオ山の大噴火により一夜にして火山灰で埋もれたこの町は18世紀から本格的な発掘調査が始まり、町の概要が明らかになってきました。
両サイドが歩道で、中央部は一段低く排水路も兼ね、飛び石で横断する道路・歩道に連なる建物の外壁や内部の様子から、居酒屋やパン屋などの店や富豪の邸宅が窺がえる町並みフォロのアポロ神殿広場、大浴場、公衆水洗トイレ、娼婦の宿など紀元前後のポンペイ人の生活が読み取れます。
2000年前の大規模な遺跡が見られることは、中国・敦煌の莫高窟や西安の兵馬俑坑などと同様に歴史的価値があるものだと思います。
(アポロ神殿)
(ギリシャ劇場)
(町並み)
(飛び石)
(被災死した人の石膏形)
(床のモザイク)
【マテーラ】
石灰岩の岩山に洞窟を掘り住居にしたサッシ(洞窟住居)がある旧市街は世界遺産に登録されています。
住居の前面は切り石を積み重ねて玄関を造っていますので、一見洞窟住居に見えませんが中に入ると洞窟です。
山肌に迷路のように造られた石段で住居が連なっており、下の住居の煙突が上の道路脇に突き出ています。
迫害された修道僧や農民が住み始め、州都になってからは町が拡大していきましたが、裕福な人は新市街に移り、旧市街は貧しい人々の町になりました。
衛生状態の悪さから乳児の50%が亡くなるという事態に行政は新市街に共同住宅を建て住民を強制移住させ、旧市街は廃墟となりました。
世界遺産になり観光客が訪れるようになると、廃墟の町に洞窟ホテル・レストラン・お土産屋ができるようになりました。
スペイン・グラナダのサクロモンテの丘にも貧しいジプシーの洞窟住居がありますが、山肌に穴を掘っただけのもっと粗末なものです。
(マテーラの町並み)
(石段で連なる洞窟住居)
(岩窟教会:サンタ・マリア・デ・イドリス教会)
(洞窟レストラン)
(住居の内部)
(下の住居の煙突)
【アルベロベッロ】
丘の上にあるこの町には”トウルッリ”という真っ白な壁に焦げ茶色の円錐形の屋根を持つ住居がビッシリと建ち並んでいます。
トウルッリは16世紀頃から開拓農民によって造られ始め屋根は徴税官が来た時に壊しやすくするために石板を積み重ねて造られています。
これは住居の数に対して課税された当時の徴税を免れるためだったようです。
壁の厚さは1mくらいあるので、冬は暖かく、夏は涼しいそうです。
とんがり屋根の裏側は物置になっています。
白い壁と焦げ茶色の屋根のコントラストが美しく、まるで”おとぎの国”のような景観です。
(トウルッリが密集する町並み)
(街路)
(陽気なおじさん)
(屋根裏の物置)
【アマルフィ】
ソレントからサレルノまでの約40キロの海岸は”アマルフィ海岸”と呼ばれ世界でも最も美しい海岸線の一つといわれています。
入り組んだ断崖絶壁に造られた海岸道路は土砂崩れで通行不能になっていたので内陸側から山を越えてアマルフィの町に向かいました。
その道たるや日光の”いろは坂”を何重にも重ねたカーブ道で断崖絶壁を下りて行きます。
お尻がムズムズするような、かなりスリルのあるドライブでした。
この町には、ビザンチンとイスラムの建築様式が混在したドーモ(大聖堂)があります。
ファサード(建物正面)にはスペイン・コルドバのメスキータを彷彿させるアーチがあり、そして建物の左側にはビザンチンのモザイク装飾を施した鐘楼があります。
また、イタリアで最初の海洋都市であり、東方貿易で栄え、コーヒー・紙・絨毯などを伝えた町でもあります。
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(アマルフィの町並み)
(ドーモ)
(ビザンチン様式の鐘楼)
(イスラム様式のアーチ)
南イタリア・シチリア島紀行(その二)
ナポリから30,000トンの豪華フェリーに乗りゴッド・ファーザーの島、シチリア島・パレルモに向かいました。
ナポリの夜景を見ながら、広くてオシャレなバルで呑みながら、一夜の地中海クルーズを楽しみました。
2等キャビンは意外と広く、約80㎝幅のベッドが2台に、トイレ・洗面・シャワー室が付いていました。
イタリアはなぜかベッド幅が狭く、ホテルでも80㎝くらいです。
船内ツアーを十分に楽しみ、翌朝7時頃パレルモに着きました。
(ナポリの夜景)
(船内のバル)
(2等キャビン)
(豪華フェリー)
【パレルモ】
着岸して上陸すると、さすがはゴッド・ファーザーの島、麻薬犬が待っていました。
シチリア島は南イタリアの中でも一番他民族が侵入した地域です。
古代ギリシャ、カルタゴ(現チュニジア)、スペイン、フランス、ノルマン(バイキング)などが王国を造りました。
ここパレルモには郊外のモンレアーレを含めノルマンの遺跡が多くノルマン王宮やドウモ(大聖堂)があります。
ドウモの内壁には”ノアの箱舟”や”バベルの塔”など旧約聖書の物語がモザイクで描かれています。
(繁華街 クワトロ・カンティ)
(ヨーロッパでも屈指のマッシモ劇場)
(ルネッサンス、アラブ、ノルマン混合様式のヌオーヴァ門)
(エビ、イカ、小魚などのフライ)
【モンレアーレ】
(ドウモ)
(ビザンチン様式のキリスト)
(ノアの箱舟)
(バベルの塔)
【ピアッツア・アルメリーナ】
小山に囲まれたのんびりとした山の中に古代ローマ時代の大富豪の別荘カサーレがあります。
建物は残っていませんが回廊や各部屋の床に描かれたモザイク画がオリジナルな状態で残っています。
ビザンチン様式の幾何学文様、男性の衣装やビキニ姿の女性、狩りの様子、剣闘士と戦わせるためのアフリカでの猛獣狩りなど当時の風俗・生活習慣がよく伺えます。
ポンペイではほんの一部しかモザイク画が残っていませんが、ここでは当時の大富豪の館がいかに豪奢だったかが分かります。
【カルタジローナのスカーラ】
標高600mの丘の上に広がるこの町では陶器作りが盛んでマヨルカ焼きの産地です。
バスターミナルからチューチュートレンで旧市街に入って行きます。
広場からサンタ・マリア・デル・モンテ教会に向けて142段の石段があり、蹴上には植物や動物をモチーフにした色とりどりのマヨルカ焼きのタイルが張られています。
(チュウチュウトレン)
(142段のスカーラ)
【タオルミーナ】
エメラルドグリーンのイオニア海と富士山のようなエトナ山を一望できるこの町は世界有数のリゾート地です。
紀元前4世紀にギリシャ人が入植し街づくりを始め、前3世紀に造られたギリシャ劇場が残っています。
現在のものはローマ時代の2世紀に改修された円形闘技場です。
(イオニア海の朝と夜)
(ギリシャ劇場をローマ時代に円形闘技場に改修)
【シラクーサ】
この街は紀元前8世紀にギリシャの植民地として造られた古代都市です。
街のシンボルであるドウモは紀元前のアテナ神殿を7世紀に教会に改修したものです。
また15,000人を収容できるシチリア島で最大のギリシャ劇場があります。
観客席の上の丘には、死後も演劇を楽しみたい人のお墓があります。
ここでは古代劇の上演が2年ごとに行われ、世界中から観客が集まるそうです。
ちなみに古代ギリシャの数学者アルキメデスはこの街の出身です。
(シラクーサのシンボル:ドウモ)
(ギリシャ劇場)
南イタリア・シチリア島を旅して、ローマ帝国が東西に分裂した後、海岸線では西ローマ帝国より東ローマ帝国(ビザンチン様式)の影響が大きいのを見て驚きました。